「違和感を感じる」は問題なし

よく重言として指摘される、「違和感を感じる」という言い回しがあるが、自分はこれについて全く問題ないと思っている。検索したところ、かの飯間浩明氏も使ってしまうとおっしゃっていて安心した。

続くツイートでこうもおっしゃっていて納得。

「意識されないグループ」の別の例を挙げるとしたら、以下のものは全く問題ないはず。

  • 「非常食を食べる」
  • 「宇宙食を食べる」

なぜこれが自然なのかといえば、この「非常食」「宇宙食」が食べる動作を意味せず、完全に名詞として食べ物を指すからではないか。「違和感を感じる」 これも同じ理屈で「違和感」が動作を意味することがないから OK だと自分は考える。

逆に、重言だとする主張の根拠は何だろうか。漢字が同じということ以外にロジックがあるだろうか。つまり、字面だけで短絡的に重言だとしているのではないか。訂正案の定番は「覚える」に言い換えるというものだが、これは漢字が変わる以外の変化がなく、文法的な解決になっているとはいえない。もし、漢字が変わるだけで解決するというなら、そもそも文法的には問題なかったということではないか。

飯間氏も最初に挙げたツイートでこうおっしゃっている。

「違和感を覚える」に変えても、「覚える」は「感じる」のことなので、結局意味は変わりませんね。

そもそも「違和感を感じる」という表現が実際に使われるのは、「違和感」が完全に名詞であり、「感じる」にしても「覚える」にしても、同様の動詞の目的語として自然に機能するからだろう。

ここであえて、明確におかしい例を考えてみよう。

  • 「共感を感じる」

これはそもそも使われている例を見たことがない(個人的に)。これが使われないのは、動詞の「共感する」があるからだろう。「共感」は名詞としても使われるものの、「共感する」がある以上、「共感を感じる」を使うに至る回路が働かない。使ったとしたら、「違和感を感じる」よりも重言として強く意識されると思われる。ここで「違和感」に戻ると、「違和感」にはこのような動詞としての用法がないため、重言とする根拠は漢字の重複だけという説が強化される。

次に、典型的な「馬から落馬する」を見てみよう。もはや誰も誤用しないというか、使う機会すらないが、いまだに重言の例として(のみ)目にする。この場合、「落馬する」の「馬」は動詞の一部ではあるが、漢字単体で見ると「落」の目的語として、つまり名詞的に機能しているために「馬(名詞)から」と重複する印象が強くなり、「重言として強く意識される」グループに入るのだろう。「違和感を感じる」にはこういった構造も見られない。

というのはあくまで個人的な考えです。「誤り」と思う人がいる以上は、仕事上では避けます。

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